西門(さいもん)鬼子母神

 

子安祈願・水子供養の道場

住 所 福岡市博多区千代2丁目18の16

    〒812-0044 (駐車場1台分有)

    福岡都市高速「千代インター」降り口

    西門橋(さいもんばし)交差点そば


電 話 092−651−5588

    (本院「妙典寺」に転送されます)

創設にあたって


 江戸時代中期の安永七年(1778)、この地域を所領していた立花平左衛門増厚氏が、博多妙典寺第三十二世、本妙院日定上人に、その土地の一部を寄進した。日定上人は妙典寺の本堂再建(現存の本堂、山門)等に尽力し、住職退任後はこの地に「得船庵(とくせんあん)」という庵(いおり)を建てて隠居した。

 「得船庵」という名称は、法華経薬王菩薩品の「如渡得船(渡りに船を得たるが如し)」に由来し、日定上人の歓びが非常に大きかったことを物語っている。明治の初頭、新政府によって付近は那珂郡堅粕村徳泉(とくせん)という地名となった。この名称には「得船(とくせん)」の読み仮名をそのままに「徳の湧きいづる泉」という思いが託されていたと思われる。この後、明治二〇年頃の町名変更に伴い、西門橋通となった。

 ところで、江戸時代後期には全国各地で気候変動や害虫の被害甚大にして農作物が凶作となり、特に天保の大飢饉では博多でも多くの死者を出し、幼い命も犠牲となった。

 大正十年(一九二一)十月三日、当地に居住していた人々が発起人となり、飢饉によって犠牲となった子供たちの供養のためにと地蔵堂が建立され、「徳泉地蔵」と名付けられた。これより毎年、地蔵盆にあたる八月二十四日、妙典寺住職によって施餓鬼法要が奉行されている。

 しかし、平成十七年(2005)三月二十日の福岡県西方沖地震によって地蔵堂は甚大な被害を受け、移転・再建を余儀なくされる。

 平成十八年(2006)七月、沙門某、法華経行者の守護神たる鬼子母神を勧請し、「西門(さいもん)鬼子母神(きしもじん)」と名付ける。鬼子母神はまた、子安(こやす)の神として知られる。ここに当地は鬼子母神と地蔵菩薩の両尊を迎える運びとなり、法華経による子安祈願・水子供養の道場として再興を図る。

    平成十九年七月吉日

       西門鬼子母神創設  本田 元秀(日瑞)

外観(駐車場奥の建物)

内部の様子

所在地(地図)は下記

妙典寺から徒歩3分

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行 事

毎月一日の午前11時より

月例祈願祭・施餓鬼法要


八月二十四日

徳泉地蔵尊祭を奉行