本堂 両脇のご案内

 

須弥壇の両脇についてお話しします

◆向かって右側・・・妙典寺の守護神をお祀りしています。


(1)中央の宮殿(くうでん)

鬼子母神(きしぼじん)と十羅刹女(じゅうらせつにょ)。

鬼子母神は一般には子供の守り神として知られている。

法華経第26章の陀羅尼品(だらにほん)で、鬼子母神は10人の羅刹女が法華経の行者を守護する誓いを唱える場面が説かれている。そのため多くの日蓮宗寺院では鬼子母神を祀っているが、その形態は様々。日蓮宗僧侶が祈祷を行う場合は、法華経の守護のもとに施主の願いが叶うよう、中心に鬼子母神像を安置することもある。宮殿の中の鬼子母神像は子供を抱いた子安(こやす)形。


(2)宮殿右側の厨子(ずし)内

こちらも鬼子母神であるが、このお像は法華経の行者を守護するにあたり、相手が畏怖(いふ)の心を抱くよう鬼形(きぎょう)となっている。


(3)清正公(せいしょうこう)

戦国武将の加藤清正公。永禄5年(1562-慶長16年(1611624日。

熱心な法華経の信者であり、九州一円に信仰を広めた。領主として肥後(熊本)を統治するだけでなく農業行政にも力を発揮。そのため民衆からも慕われ、親しみを持って「せいしょこさん」と称されている。武将であることから武勇・武道、そして勝負事の神としても信仰を集めている。


(4)大黒天(だいこくてん)

福徳円満の神。室町期以降、多くの日蓮宗寺院で祀られるようになった。

その功徳は「楽を得、福を与え、良薬を与え、智者となし、長命となし、善心となす」と云われる。

妙典寺では平成24年春、住職が三回目の荒行を成満した事を機会として奉安し、「得船(とくせん)大黒」と命名。法華経第23章、薬王菩薩(やくおうぼさつ)本事品(ほんじほん)に説かれる「渡りに船を得たるがごとく」という経文に由来する。

◆向かって左側・・・日親(にっしん)上人と妙典寺歴代住職の位牌


日親上人 応永14年(1407)- 長享2年(1488)9月17日

京都を中心として布教を展開。筑前(福岡)、肥前(佐賀)にも来訪して法華経を布教。強硬な布教活動のために反感を買い、焼けた鉄鍋を頭に被せられるという拷問を受けながらも屈せず法華経の精神を説いたと云われる。そのことから「鍋かむり日親上人」と呼ばれたほど。

後に京都に本法寺(ほんぽうじ)を創設。妙典寺は本法寺の末寺(まつじ=縁ある寺)として建てられたので日親上人をお祀りしている。

◆本堂 左端

妙典寺創設者、

薦野(こもの)増時(ますとき)


天文12年(1543)−

   元和元年(1623)2月10日。


戦国武将の立花道雪(どうせつ)、宗茂(むねしげ)親子に仕えた家老。

後に立花姓を名乗ることを許される。

子孫の一部は黒田姓を賜っている。


関ヶ原の戦い前後、京都滞在中に本法寺第10世、日通上人との縁があり法華経信仰に目覚め、本尊を授与される(妙典寺蔵)。

薦野家、立花家の菩提寺として博多に妙典寺を創設。

慶長8年(1603)4月25日に落慶。