お寺の新聞「瑞祥(ずいしょう)

 

年間数回(不定期)発行しています。話題が時期外れの場合もございますがご容赦下さいませ、、、

令和4年4月24日(日)発行

ごあいさつ


 本日は立教(りっきょう)開宗会(かいしゅうえ)。日蓮宗は創立七七〇年、そして妙典寺は四二〇年を迎える運びとなりました。今後とも、宜しくお願い申し上げます。また、四月八日はお釈迦さまの御降誕会。本堂中央にはお像を奉安しております。本日の法要でお焼香の際には、甘茶を注いでお祝いしましょう。


法華経第八章


 今回は法華経の第八章、五百弟子受記品のお話です。

 以前、第六章についてお話した際、その表題は授記品(じゅきほん)だと述べました。今回の表題は五百弟子(ごひゃくでし)受記品(じゅきほん)です。

 授記と受記、どちらも読み方は「じゅき」ですが、授けると受けるですから意味が間逆です。「記」というのは、「将来、仏になることができるという確約」です。

 第八章では、そのタイトルの通り、五百人もの阿羅漢(あらかん)が、仏になることが出来るという確約を受け、非常に喜ぶ場面が描かれています。

 阿羅漢という立場は、仏道修行者の中では、かなり位の高い立場です。「これ以上学ぶものがない(学び尽くした)」ということから「無学(むがく)」と称される場合もあります。日本でも阿羅漢信仰が各所で見られ、九州では大分中津の羅漢寺が有名です。

 ところで私たちは、ある一定の目標が達成され、それなりの立場に身が置かれると、それだけで安心し、精進をやめてしまうことがあります。勉強やスポーツ、或いはダイエットなどでも身に覚えがないでしょうか。

 真理を追求する学びに終わりはありませんし、運動や体重管理も、本来はご先祖からお預かりした身体を、できるだけ長く、健康に維持するのが本来の目的のはずです。大人になって社会的な地位に就任した場合などは、それまで以上に世のために尽くすことが求められるでしょう。

 阿羅漢の人々も同様でした。自分たちが感じ取っていたことを「さとり」と勘違いしていたようです。

 お釈迦さまのお説法によって全ての阿羅漢は、自らの過ち(勘違い)に気づきました。そしてお釈迦さまから、「大丈夫。あなたたちも将来は仏になることが出来るんだよ」という確約を頂き、躍り上がって喜ぶ様子が書かれています。それが「受記」なのです。


かつての教えに気づく


 以下はお経に書かれている阿羅漢たちの言葉です。

 遥か昔、お釈迦さまは修行中の私たちに、「あらゆる事を知る智慧を求めよ」と教えて下さいました。ところが私たちは、その事をすっかり忘れていたのです。そしてお釈迦さまから阿羅漢という立場を頂いたことで、それが最高だと勝手に思い込んでいました。

 でも幸いなことに、智慧を求める心は失っていませんでした。お釈迦さまが植えて下さった善い心は残っています。その事に気づかせて下さったのが他でもないお釈迦さまです。有難うございます。私たちは益々励みます。


気づきの大切さ


 法華経という経典の一番大切な部分、それは「あなたも私も、みんな仏(ブッダ)になれる」ということです。これはお釈迦さまが私たちに授け下さった、この上ない宝です。

 ところが私たちは日常の中で、この大切な宝の存在を忘れてしまいがちです。或いは、周囲の忠告を聞かずに身勝手な行動に走ったがために、逆に自分がボロボロになってしまうことがあります。

 慌てたって、急いだって、良いことはありません。ゆっくりの方が沢山の気づきが生まれるはずです。その積み重ねが本当の宝への近道になるのです。